人類は随分と古くから、めっき技術を使いこなしてきました。日本では、あの大きな奈良の大仏の金めっきが有名ですが、エジプトの王族の装飾品に金めっき品があったことや、さらに古くは、紀元前16世紀のメソポタミヤのアッシリアでは鉄面に錫めっきが防食用に施されたといわれています。
この頃の金めっきは、アマルガム法によるとされていますが、この方法は、金を水銀に溶解して青銅製品に塗り、加熱すると水銀が蒸発して金が表面に残る方法です。この方法は猛毒の水銀蒸気が発生するため、多くの職人が急性水銀中毒で死亡したといわれています。
めっきの主流である電気めっきが、わが国で工業的に開始されたのは、明治時代後半でありますが、殆ど装飾めっきで、金属製品に美観と耐食性を与え商品価値を高めるのが目的でした。自転車のハンドルやベルを馬車やリヤカーで運搬した記録が残っています。
現在のような光沢めっき盛んになったのは、第二次大戦のあとです。アメリカから導入された技術です。それ以前のめっきは、無光沢で、めっきの後、バフ研磨をして光沢を出していました。しかし光沢めっきは、めっき槽から出した時には既に光沢がありピカピカしているのです。
その後日本は高度成長の波に乗りましたが、めっきを含めてそれ以外の表面処理も長足の進歩を致しました。つまり、従来から本領とした装飾めっきから、機能を主張するめっきが表れてきたのです。
高い硬度をもつめっきや、電気的・光学的・熱的等に優れた特性をもつめっきです。各種の合金めっきや、複合めっきなどがそれです。
もっと大きな変化は、従来水を溶媒した湿式めっきから、水とは縁のない乾式めっき・ドライプロセスの出現です。真空技術の進歩と電子ビームの出現によって、従来不可能であった高融点金属を簡単にイオンすることが可能になったからです。それによってイオンプレーティングやスパッタリングなどの真空めっきができるようになりました。